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【社員インタビュー#2】日常を離れ、散らばった点と点を繋ぐ。世界を旅する放浪家としてのWebデザイナー【ジブン】

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artLargeで働くスタッフの「シゴト」と「ジブン」を引き出すインタビュー企画。今回は、旅とともに生きる、大久保早織さんの「ジブン」に迫ります。「シゴト」に関するインタビューはこちらからご覧ください。

大久保早織 プロフィール:2023年、株式会社artLargeに入社。早稲田大学卒業後、新卒でアパレルブランドに就職した後、ワーキング・ホリデーを活用してオーストラリアへ。帰国後は外資系ITベンチャーで働きながら、専門学校でWebデザインを学ぶ。現在はartLargeでWebデザイナー兼広報として社内外の幅広い業務に携わっている。
https://artlarge.jp/members/saori-okubo/

小さな町から遠い海外を夢見て…
慎重な性格の彼女が旅人になった理由

artLargeでWebデザイナーと広報を兼任し、どちらの業務でも堅実に成果を出す大久保さん。プライベートでは旅をこよなく愛し、これまでに訪れた国は20ヶ国にものぼります。金曜日の夜に国外へ旅立ち、月曜日の早朝に帰国して、キャリーケースを転がしながら出社することもしばしば

バイタリティあふれるパワフルな大久保さんですが、性格は真面目で穏やか。何事にも入念なチェックを欠かさない慎重派です。そんな大久保さんが、なぜ一人で世界中を旅してまわる“放浪家”になったのでしょうか。

彼女の人格形成に大きな影響を与えたのは、小学生のころの苦い経験でした。

「幼いころはとにかく負けず嫌いで、なんでも一番にならないと気が済まない性格でした。勉強、スポーツ、給食当番の並び順まで(笑)。でも、小学校5年生のとき、担任の先生から名指しで人との接し方について注意されたことがあったんです。子ども心に、結構ショックな出来事で……」

それ以来、大久保さんは自分よりも他人の気持ちを優先し、自己主張を控えるようになったといいます。加えて、大久保さんが生まれ育った町は、良くも悪くも他人との距離感が近く、何もかもが筒抜けになってしまう環境でした。自然豊かで魅力的な故郷ですが、ときどき息苦しさを感じる瞬間があったそうです。そこで大久保さんは、どこまでも広く、開放的な海外へ憧れを抱くようになりました。。

「高校時代、地元のTSUTAYAに足しげく通い、洋画を見漁るようになりました。特に好きだったのは、人間の感情や人生の機微を丁寧に描くヒューマンドラマ。ロビン・ウィリアムズやトム・ハンクス出演の作品や、グザヴィエ・ドラン監督の映画に強く惹かれました。そうした作品を通じて、人間の多様な側面に目を向ける姿勢を学ぶとともに、『海外で生活してみたい』という気持ちが高まっていきました

アメリカ留学とオーストラリア就労 
二度の海外経験で様変わりした価値観

高校卒業までは、敷かれたレールの上ですべてをそつなくこなす優等生だった大久保さん。しかし、大学進学に目的を見出せなかったことが学習へのモチベーションに影響し、1年間の浪人を経験します。そこで初めて家族と深く話し合い、大久保さんの奥底にあった「海外に行きたい」という思いが明確になりました。

「『大学で海外留学をする』という目標が定まったので、国際系に強い早稲田大学を志望するようになりました。留学という目標ができてからは、英語の勉強が本当に楽しくて。もともと国立志望だったので、私立に切り替えて教科が絞られたのも、英語を中心に学びたい私にとってプラスに働きました」

そして、第一志望の早稲田大学に無事合格。1年生の夏には念願の海外留学を決めました

「当時は英語力が低かったので、選べる留学先が本当に少なく……。行き先に悩んでいたら、友人から『アイオワ州って、アメリカ大陸を人間の身体に見立てたときに、心臓の位置にあるんだよ』と言われて。その言葉が心の琴線に触れ、アイオワ州の大学へ行くことにしました」

人生初の海外で、人生初の他人との共同生活。不安でいっぱいの大久保さんでしたが、フレンドリーなルームメイトに恵まれたおかげで、すぐに馴染むことができたといいます。そして念願の海外生活は、大久保さんの人生観を大きく変えました。

「アメリカ留学は本当にカルチャーショックの連続でした。学校ではみんながガンガン自分の意見を言うのが当たり前。当時の私はまったく英語が話せなかったのですが、ちゃんと自分の思いを伝えられるように、勇気を振り絞ってたくさん発言をするよう心がけました。自分の殻を破るという経験のおかげで、怖いものがなくなりかなり度胸がつきましたね

大学卒業後、2017年にはオーストラリアに飛び、海外就労を経験。自然豊かな国でののびのびとした暮らしは、大久保さんによく合っていました。しかし、渡豪から2ヶ月後、まさかの困難に見舞われます。

「ある日突然、職場のボスに『顔色がおかしいからすぐに病院へ行きなさい』と言われました。それで検査を受けてみたところ、内臓疾患を発病していることが発覚。先生から『睡眠中に突然息が止まる可能性がある』とまで言われ、背筋が凍りました。その後仕事を辞めて帰国し、治療に専念したおかげで、半年後にまたオーストラリアに戻ることができました。貴重なワーホリ期間をロスしてしまったのは残念でしたが、この経験のおかげで、自分が持っているものや周りの人への感謝が深まり、今を後悔しないように生きようと強く思うようになりました足るを知り、日々の小さな幸せにフォーカスできるようになったのは、怪我の功名だったかもしれません

プライベートでも人と人を繋ぐHubに 
多様な経験を武器にわが道をゆく

その後も大久保さんは定期的に海外へ足を運びます。artLargeに入社する直前は、東南アジアでバックパッカーをしていたそう。

旅先を決めるときは、今まで行ったことがない国の中で、心のときめきと豊かな自然をポイントにしています。東南アジアを選んだ理由は、ベトナムの『サオビーチ』に行ってみたかったから。ベトナム語の『Sao(サオ)』には“星”という意味があり、私の名前『早織(さおり)』とも似ていて、運命的なものを感じたんです。当時30歳の節目で、自分が輝ける場所を模索していた時期でもあったので、ぴったりだと思い目的地に選びました」

海外には慣れている大久保さんですが、東南アジア旅ではトラブルも多かったようで。

「カンボジアからタイへ渡る際、ビザの印刷を忘れて入国を拒否されてしまったことがありました。でも、別の職員さんが声をかけてくれて、スタッフルームでビザの印刷を手伝ってくれたおかげで、無事に国境を越えられました。ほかにも、携帯を盗まれたり、現金が底を尽きたりするトラブルもありましたが、そのたびに人の優しさに助けてもらいました。国や言語が違っても、人と人ならお互いに支え合えるということを、旅を通じて学ぶことができました

大久保さんにとって旅とは、クリエイティビティをアップデートできる場でもあります。

いつもとは違う環境に身を置き、凝り固まった思考やルーティンから解放されることで、心に余白が生まれるような気がしていて。そこに、魅力的な人々やカルチャーなど、旅先での素敵な出会いがスッと入り込むことで、普段は思いつかないようなアイデアが浮かび上がるんです。旅が、私の中に散らばった点と点を繋いでくれるのだと思います

大久保さんのシゴトとジブンを語る上で欠かせない”繋ぐ”というワード。artLargeではWebデザイナー兼広報として社内外を繋ぐ役割を担う彼女ですが、プライベートでも人と人を繋ぐ活動に精を出しています。

「休日は趣味でDJをしています。人前で表現することは苦手なタイプでしたが、自分が紡ぐ音で人が踊り、そこに新たなコミュニケーションが生まれることが嬉しくて。今では自分でイベントをオーガナイズすることもあります。渋谷の『青山蜂』という、界隈ではちょっと有名な箱でも主催を経験。音楽を通じて人と人とが繋がっていく光景をDJブースから眺め、密かに喜びを感じています(笑)」

そんな大久保さんの、人生のミッションは?

「やはり『繋ぐこと』ですね。人と人はもちろんですが、これからは都会と地方を繋いだり、若い世代の方々を旅に繋いだりするようなこともしてみたいです。自分が見てきたもの、感じてきたことを継承し、それによって人の心を動かすことができたら本望ですね」

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